芦屋浜アスリートクラブ 大会レポート
還暦サブスリー
大 達 成
28年の歳月を超えた、62歳のゴールテープ
2:58:342026年2月22日(日) 姫路城マラソン ネットタイム
山本 貫太郎
1963年11月29日生まれ(還暦)
「ちょっと時間はかかり過ぎか?」
28年。四半世紀以上の時間が流れた。
子どもたちが生まれ、育ち、今年ついに巣立った。
その間もアスファルトを踏み続け、ゴールテープに届かない夜を何度も越えた。
2026年2月22日、快晴の姫路城の空の下。
62歳の足が、3時間の壁を打ち破った。
「ほんの1分ばかし余らして」——その薄氷の勝利が、すべてだった。
幼稚園の「コマ回し大会」で優勝して以来、こんなに褒められたことはないとご本人も大笑いの還暦サブスリー。 しかしその裏側には、己の限界と格闘し続けた長い長い物語がある。
CHAPTER 01
「ほぼスリーランナー」と揶揄されて
📸 真夏の練習後も笑顔が絶えない——これがサブスリーへの道のり
ランニング再開から18年。気づけばゴールタイムは3時間台の前半に張り付いて離れない。 「ほぼスリーランナー」——仲間からそう呼ばれながらも、山本さんはレースを走り続けた。
2025年シーズンだけでも別大、姫路城、びわ湖とフルマラソン3本を走破。そのたびにあと一歩のところで3時間の壁に跳ね返された。ニューヨークシティマラソンでは3:00:34。 わずか34秒の差で涙を飲んだ。
2025年シーズン 主なフルマラソン結果
別府大分毎日マラソン
3:05:47
姫路城マラソン
3:04:26
びわ湖マラソン
3:00:39
ニューヨークシティマラソン
3:00:34
さらにサロマ湖100km(9:21:03)、アワイチ150km、さくら道143kmと ウルトラシーンでも精力的に活動。ゴール後にズッコケて1ヶ月走れなくなる番外編もあったが、 それすら山本さんらしいエピソードとして仲間の笑いと心配を誘った。 「転んでもただでは起きない」——いや、起き上がるのにひと月かかるが。
娘は4月に東京へ就職、息子は横浜へ進学。一挙に「老夫婦二人きり」になった2025年。 でも走ることだけは変わらなかった。むしろ、子育ての重責から解放されたエネルギーが、 そのまま脚力に変換されていったのかもしれない。
CHAPTER 02
2026年シーズン開幕——別府の烈風に散る
2026年2月1日、第74回別府大分毎日マラソン。伊丹から飛行機で乗り込み、 「言い訳の出来ない絶好の天候」の中でスタートを切った。
スタート〜ハーフ
「今日せんといつやるんって感じ」——気持ちは満々だった。
ハーフ〜35km
「今日はやったるで〜」——手応えは確かだった。
35km〜40km
ふくらはぎと足の指がピクピク。太腿は大丈夫……まだいける。
残り700m
ハムストリングに強烈な攣り発生、緊急停止——ジ・エンド。
第74回 別府大分毎日マラソン|2026.2.1
3:02:39
「最近の流行りの見飽きた結果」——山本談
| 区間 | タイム | ペース |
|---|---|---|
| 〜5km | 21'31" | 4'18"/km |
| 〜10km | 21'19" | 4'16"/km |
| 〜35km | 〜21'22" | 〜4'16"/km |
| 〜Finish | 11'59" | 5'28"/km |
残り700mで攣って止まる——これが山本さんの「恒例の攣り祭り」だった。 「やっぱりフルマラソンは難しい、けど愉しくてやめられまへんな〜」という言葉に、 この男の底知れぬタフネスが滲み出る。 諦めることを知らない還暦ランナーは、3週間後に姫路へ向かった。
CHAPTER 03
2026年2月22日 ——奇跡は国宝の城下で
快晴。気温4℃から20℃。これ以上ない舞台が整った。 前日の受付はチームメイトのハギーに代理をお願いし、当日の起床は午前3時。 熱いシャワー、経口補水液、脚にはマグネシウムを丁寧に塗り込む。 4時の食事はカルボナーラ、親子丼、焼餅2つ、味噌汁——「食べ過ぎ」の反省は後回しだ。
午前6時15分、芦屋駅始発の快速で姫路へ。別大での苦い経験を活かし、 今回は「ネガティブスプリットに拘らず、イーブンの4'15"/km±5秒」をテーマに設定。 前半15kmはハギーの背中を目標に、その後は次々とペーサーを乗り換えながら順調に刻んだ。
📸 2026年2月22日 姫路城マラソン レース中
〜30km
川沿いの自転車道に入ってからはきつくなるも、熱烈な応援でスピードをキープ。
ラスト2km
両脚のふくらはぎとハムがピクピク。いつもならここで慌ててリズムを崩し「足攣り祭り」でジエンドだが——
ラスト数百m
応援中のジュンちゃんを捕まえ、伴走を強要(笑)。足攣りを何とか回避。
GOAL | コタダンが待つ国宝姫路城
「3時間を1分ばかし余らして、薄氷のゴール——」
姫路城マラソン 2026.2.22|28年振り・ランニング再開後18年振り サブスリー達成
2:58:34
ネット|グロス 2:59:10
前半ハーフ
1:30:14
後半ハーフ
1:28:20
| 区間 | タイム | ペース |
|---|---|---|
| 〜5km | 21'31" | 4'18"/km |
| 〜10km | 21'14" | 4'15"/km |
| 〜15km | 21'16" | 4'15"/km |
| 〜20km | 21'02" | 4'12"/km |
| 〜25km | 20'57" | 4'11"/km |
| 〜30km | 21'00" | 4'12"/km |
| 〜35km | 21'04" | 4'13"/km |
| 〜40km | 21'04" | 4'13"/km |
| Finish | 9'29" | 4'19"/km |
「多分こんなエエ感じで走れたのは初めてかと」——そう振り返る笑顔が目に浮かぶ。 この記録証に刻まれた 2:58:34 の数字が、28年間の積み重ねの答えだ。
📸 ゴール後、仲間と国宝姫路城をバックに。この笑顔がすべてを物語る
ゴール後は仲間のゴールを出迎え、姫路駅前で同じく還暦サブスリーを目指す小学校の同級生、 そして故障しながら完走した高校の同級生と乾杯。夜は神戸で練習仲間と熱い打ち上げ。 「内容の濃~い、一段と充実の良き一日」——これは山本さんの言葉だ。
CHAPTER 04
3月びわ湖——「ぎりスリー」から「ほぼスリー卒業」へ
積年の重荷を下ろした姫路から2週間後、今度は琵琶湖の畔へ。 スタートブロックはS、号砲からわずか9秒でスタート地点通過——ストレスゼロ。 今回は「赴くままに」と、時計を気にせず淡々と単独走を楽しんだ。
10〜35km区間の湖東路はほぼ向かい風。単独走では苦しいが、「一人旅を愉しみながら我慢」。 40km地点では2:49:27。幼なじみのホソダの言葉—— 「ここで2時間50分を切っていれば3時間切りは出来る」——を胸に最後まで脚攣りだけに気をつけてゴール。
びわ湖マラソン 2026.3.8
2:59:19
ネット|グロス 2:59:26 / 今シーズン2度目のサブスリー達成
前半ハーフ
1:27:52(4'10"/km)
後半ハーフ
1:31:27(4'20"/km)
「やっとこさ、ほぼスリーを卒業して、ぎりスリーへ昇格。」
その一言に凝縮された18年間の重みと、照れ隠しのユーモア。
ゴール後は脹脛が攣って座れないため立ったまま着替え——それでも「出し切った感満載」と清々しい笑顔だったという。
「人はやっぱり褒められて伸びるんやね。
もうちょっと早く体験出来てたら
子育てに行かせたのに~」
山本 貫太郎 / 2026.3.24 お祝いの会にて
CHAPTER 05
人生初の「褒められ期」到来
サブスリー達成以来、神戸・芦屋、びわ湖、東京、淡路島——行く先々で称賛の嵐。 幼稚園のコマ回し大会以来の褒められ体験に、すっかり味をしめた山本さんは宣言する。
📸 2026年3月24日 「還暦サブスリー」達成お祝い会にて
「まだもうちょっと褒めてもらいたいので来シーズンも頑張って走る所存です。
引き続き皆様の叱咤激励、ご指導ご鞭撻と合わせて温かいお褒めの言葉のほどヨロシクお願い申し上げます。」
これは謙遜でも冗談でもない。マラソンで60年間培った「楽しみながら諦めない力」——それこそが山本貫太郎の最大の武器だ。 来シーズンは「3時間にもうちょっと余裕をもってゴールできるタイム」を目標に、 今日もアスファルトを踏みしめている。
2025〜2026年 主な戦績
28年間、走り続けた男へ
子どもたちは独り立ちし、老夫婦二人の家に残ったのは、走ることへの飽くなき情熱だった。 別大で脚を攣り、神戸で脚を攣り、それでも起き上がって次のスタートラインに立ち続けた。
「マラソンが団体競技だと改めて痛感した」——ハギー、ジュンちゃん、コタダン、ホソダ、みなとの森の仲間たち、 そしてすべての応援者へ。山本さんの2:58:34は、あなたたち全員のタイムでもある。
感謝感無量のシーズンが終わり、今日から「長~いの」へシフト。
62歳のランナーは、まだ加速中だ。
NEXT GOAL : SUB 3 WITH ROOM TO SPARE
芦屋浜アスリートクラブ 大会レポート・活動記録
投稿者:山本 貫太郎 | 2026年3月掲載
※事務局で内容を確認後、一部編集しております。