レース報告・アイアンマン・ランカウイ!

投稿第80号
レース報告・アイアンマン・ランカウイ!
2007年3月28日
大学職員 大橋康治氏

アイアンマン・ランカウイを無事に完走し、伴走という大役を果たしてきました。今回の伴走で自身2度目の経験ですが、やはりレースが始まるまでは自分自身の練習不足の不安とレース中に自分が体調不良を起こしてしまったらという不安、それに、アイアンマン・ジャパン、チェジュと挑戦されて、ジャパンではバイク終了時のタイムオーバー、チェジュでは、荒天によるスイム中止で、柳川さんは、3度目の正直のアイアンマン挑戦でしたので、今回はどうしても完走してアイアンマンの称号を手にしてもらいたいという気持ちが強かったこともあり、自分のレース以上に緊張していました。現地到着の翌日に受付にいくといきなり取材などがあり話題の大きさを感じ、1段と責任を感じることになりました...。大会当日、薄暗い中、準備を始め、これを終えると、スイム時にカヤックで安全確保と先導をしてくれるライフセーバーとの打ち合わせをおこなった。前日にスーパーで話しかけられたウォンさんという方がたまたまスイム会場の責任者だったこともあり、ホスピ津川さんの通訳ですんなりと打ち合わせを終えることが出来た。スタートは、7時となっているが、明るくなる7時15分~25分がスタートと聞いていた。15分ごろになっても薄暗いのでスタート位置にはフローティンで待つ選手は30名程度だった。そして、周りものんびりムードが漂う中、いきなりスタート合図があった。のんびりしていた選手達は慌てて泳ぎだしていった。マレーシア時間がいたずらをしたようだった。僕たちは、ゆっくりと入水。1定ペースを意識してリラックスをするようアドバイスだけをし、スタートをした。僕は、柳川さんの左側を泳ぎ右に曲がった場合は、左肩をポンポンと2回たたき、左に曲がってきた時には、左肩を軽く押し調整すると試泳で決めていた。波はなく、非常に泳ぎやすく1時間50分ぐらいでは10分クリアできると感じていたが、折り返しでは、予想をはるかに上回る44分であった。折り返してからも大きな蛇行はなく順調であったが、残り500mあたりで少し足が攣ったようで、少し仰向けで浮きながら1呼吸おくことにした。その後にペースをあげようとしたことで力みがでてしまい、少し蛇行があったものの1時間41分という好タイムでスイムを終えた。予想以上の好タイムであったためトランジットでは、ゆっくり時間をとりバイクへと移った。最初は、足を慣らすためにのんびりと回転をさせながら走らせた。バイクは、大阪に来てもらったときの1時間ほどの練習しかしていなかったので、現地で練習を考えていたが結構交通量があるため、取材の撮影時に少し乗っただけでレース中にお互いが乗り方を掴み覚えていくしかなかった。スタートしてから1度のみ通過するかなり急な登りを心配していたが、スタートしてすぐだったのでそれほど苦しまずにクリアできた。ここを越えると周回コースに入っていくが、下りは慣れるまで無理をせず慎重に下るようにした。1周目は、気温もそれほど上がっていないので、風が心地よく感じ余裕かな?と甘い考えもでていたが、2周目に入ると暑さと疲れで坂は、かなりきつく感じるようになってきた。坂では、柳川さんがダンシングをし、僕はシーティングでリズムを『「1・2、1・2』と合わせるように声をだし、『頂上まで残り15m、5m』といった感じで知らせながら頑張った。下りや直線では、足を止めてしまいそうになるので、ここでは足をほぐすためにまわす、ここではスピードを維持するために頑張るといった感じで説明を入れながら指示をしていくとだんだん感覚がつかめてきたようで、走りに1体感が感じられるようになった。こうなるとエイドのボトルを取るときにも安定感がでてきてスムースに受け取りができるようになってきた。何度か柳川さんもボランティアから直接ボトルをとっていた。しかし、凄いと思う反面、不慣れなボランティアもいるので無事で良かったと後になって思った。このあたりからタンデムの特権で柳川さんに頭と背中に『水をかけて~』とかお願いできるようになっていたが、前半には余裕がなくあまり水をかけていなかったせいで、熱射病のように鳥肌がたち頭も痛かった。水をかけてもらう回数を増やすことでだいぶマシになってきたが、辛い時間が続いた。2周目途中には、トップ集団に周回されたが平地でのスピードは遜色なく、マーシャルが道を遮っていなければ前にでてみよかという気にもなるほどだった。柳川さんは、トップ集団が抜いていく車輪音にスピードを感じ『速いですねぇ~』と言うので、『僕たちは、今、トップ選手とずっと同じスピードで走っているんですよ』というと驚いていた。タンデムの平地での威力は凄いものである。3周目になるとかなり、坂では堪えたが、途中から見知らぬバイクが寄って来て話しかけてくる。地元の若者の応援だと思っていたが、大会側が用意してくれたサポートバイクだったようで、途中から、取り損ねたボトルを運んでくれ、バナナを手渡してくれたりした。とても有難かった。しかし、頻繁に声をかけてくれるので、その度に柳川さんが反応し、足が止まる。『足回して!!』路面に影が映る...『ハンドルから手を離さない!!!!』走りが疎かにならないように檄を飛ばした。走りながらの補給では2人分のボトルは不足気味だったので、このサポート補給で暑さからのダメージをかなり軽減させてくれたと思う。街中に近づくと車の規制がおこなわれていないこともあり、かなり減速をしてバイクゴールまで行かなければならなかった。(速い選手のバイクゴール時にはきちっと規制はされていたようである。)バイクタイムでも予定よりも余裕ができ、残すは柳川さんが1番得意とするランである。バイクから降りたときには、さすがの柳川さんも産まれたての子馬のように動きがカクカクなっておかしな歩き方になっていた。このトランジットでゆっくり身体を冷やし、しっかりと日焼け止めを塗り走り出した。歩道やコーンの内側を走るが狭くて2人が並走するには難しいところが多くあったので、ゆっくり慎重に走った。1キロ走ったところから5km往復の4周回で、きちんと1kmごとにエイドはあるが、前方から折り返してきた選手との擦れ違いやエイド前が特に狭く規制されていたので走り辛かった。1周目、2周目と暑さがきついときだったので、毎回、エイドに止まっては氷をもらったり水をかぶったりしたが、その際に柳川さんはエイドボランティアともしっかり交流を楽しんでいた。『ここまでくれば、どんなことがあってもゴールできますよ』と柳川さんに話していたが、自分自身に言い聞かせていたところもあった。途中で気分が悪くなっていたので、どうしてもダメになったときには、応援してくれている辻本さんに1周、津川さんも1周走ってもらうことでどうにかなるなと計算していた...。(笑)3周目に入ってからは、エイドを飛ばすようにして走ってペースをつくった。コース上では、擦れ違うたくさんの選手方に声をかけてもらい、声が出せない苦しいそうな選手までも手で合図を送ってくれ本当に嬉しかった。周りも暗くなり残り6kmを残した下りで、柳川さんはどんどんペースを上げだした。ここで怪我をしたら『どうすんねん!(笑)』と思いながらも走り、本人の動きに合わせるのが役目と考え、3km先で止まる予定エイドまでを約4分ペースで走った。残りゴール3kmまでは暗いし、歩道が狭く段差もあるので冷静に走らせることを心がけ、『終わってから何を食べる』だの『ゴールはどうやって入ろうか』とゴールまでの区間をワクワクしながら最後を楽しんだ。フィニッシュゲート前は大盛り上がりで、歓声の中を僕たちは両手を大きく挙げてゴールした。完走を目標としていたが、文句なしのタイムで楽しく走りきることができた。ゴール後は、大会関係者や報道のカメラでいっぱいであった。それにしても、完走することができて本当に良かったという嬉しさが大きかった。そして、ようやくプレッシャーから開放されたという安堵感でいっぱいであった。今回のレースでいろいろ戸惑いもあったが、全盲の柳川さんと共に完走したことで得たものは大きいと感じている。自分のレースだと1人で行動することが多いが、今回は、出発からずっと同じ行動をし、どこへ行くのも1緒だった。食事の際も柳川さんの手助けをしたが、意外に面倒くさいとかストレスを感じていない自分がいた。『俺はこんなに優しかったか?』と自分のことが不思議であり、おかしく感じたが、自分の中でサポートすることを割り切れていたからかもしれない。マレーシアから帰ってきてから思ったことは、他人にこんなに優しくできたんやからもっと嫁さん、家族のことも大切しないといけないと感じた。うーん、1皮剥けたかもしれない!笑柳川さんに対しては、レース中は歯がゆく感じる部分もあったが、冷静に考えるとレース内容を含め、挑戦する心、行動力には『凄い人』の1言に尽きると思う。今は、いただいたレース中や表彰式の写真の柳川さんの良い笑顔をみると伴走して良かったと心から思える。マレーシアという国もかなり気に入ったので、来年も出場したいと思っている。自分のレースで...!?。笑SWIM:3.8kmBIKE:180.2kmRUN:42.2km完走時間:13:25:07(大会開催日:2007年2月24日)

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