
第409号
マ ラ ソ ン は 楽 し。 で も シ ン ド し !
2013年11月7日
AAC会員
谷中 康弘氏
自己紹介からさせていただきます。昭和31年生まれの57歳です。学生時代は野球
をやっていました。会社に入ってからは東京と神戸を往ったり来たりで住んだ期間は
東京と神戸が半々でした。
その間、遊びレベルでテニスやバドミントン、ゴルフをやっていました。転機は51歳
の時に新潟と北陸3県の担当になり単身赴任を始めた時です。以前から「地方に単
身赴任すると楽し過ぎて激太る」(10kg~20kg増)というのが“常識”でしたし、先
輩達も全くにその通りで人相が激変していました。それで、「なんとかそうはなりたく
ないもの」と思い、始めたのがジョギングでした。
新潟では信濃川、富山では神通川、金沢では犀川の河川敷を早朝ジョギングする
ようにしました。そうこうするうちに、「走ってるならマラソン大会に」と誘われ53歳で
初めて10kmマラソンに出ました。
調子モンなんで「担当4県全制覇!」と福井、富山、石川の大会に3週連続で出場、
それなりの結果で自信満々。最後4週目の新潟で勝負を掛けました。結果は8km
地点から記憶が無くなり、気がついたらマスクをして白い服を着た美女が両側から
「大丈夫ですか?」と。なんと脱水症状で意識がないままにゴール、医務室に運ば
れたようです。
あとでフラッシュバックのように地面がフラフラ揺れる景色とかが浮かんできました。
点滴して救急車で病院に運ばれる始末。(救急隊員の優しさに感謝)
こんなマラソン人生?の苦いスタートでした。でも、体重が76kgから66kgへと10
kgも減る中で、日に日に顔がムクみ、お腹も出っ張る仲間を尻目に、「あぁ、ベルト
がないとズボンがズルゥー」とうれしい悲鳴で、ヒンシュクの嵐。
そして昨年の4月に帰還命令を受け神戸に戻り、5月に西宮に引っ越しました。
それまで一人で走っていたのですが、「なんか刺激が欲しいな」と西宮のランニング
クラブをネットで調べましたが該当なく諦めていました。ただ時々、夙川沿いを集団
で走る“奇妙な一団”を見かけることはあり、「ありゃ何者?」と不審に思っていまし
た。なんせ性別・年齢に統一性がない。
そんな時に偶然、ネットで「芦屋アスリートクラブ」を見つけました。ただ、入会資格
の記載がなく、また記録を見るとすごいタイムばかりで「こりゃ無理っぽい」と。
そして迎えた今年の篠山マラソン。ホール2階に行って着替えようと思ったら何本も
のノボリが。そこに「芦屋アスリートクラブ」とネットで見た文字が。
それで勇気を持って声をかけさせていただきました。「西宮市民も入会できますか
?」と。その声をかけたのがミドリさんだったとのこと。そのミドリさんに案内されて
男性の所へ。その男性(山崎さんでした)が「大丈夫、大丈夫」と。そのお二人の好
印象もあり、即、入会を決めさせていただき、土曜定期練習会と木曜練習に参加さ
せていただくようになりました。クラブの印象はただ一言、「変人集団♪」。世間の
常識、発想がまるで通じない集団。いやぁ、こんな集団の近くに住んでいたとは驚き
でした。
以来、その「変人集団」に一歩でも近づこうと走る日々が始まりました。練習以外に
もカヌーアスロン・京街道マラニック・六甲夜間トレイル・ドラゴンレース・くすのき駅
伝(酔っ払いはイヤですねぇ)・ビアガーデン暑気払いなどにも参加させていただき、
生きている世界をグ~ンと広げていただいています。
最後に10/27大阪マラソンですが3時間26分20秒。性懲りもなく「自己ベストの
大幅更新」を狙って、いつもの自信満々=自信過剰で出場。20km辺りから「こりゃ
オーバーペース」だと思いはじめ、30km手前からは「息も絶え絶え」。30kmを過
ぎてからは、ハーフ・フル20数回目にして初めて歩きました。しかも2回。腕が冷え
てきて「こりゃオカシイ。このままでは倒れそう」と思い、大阪のオバちゃんの暑い、
いや熱い声援を受けながらもトボトボと。でも、その声援のお蔭でまた走り始めるこ
とができ、なんとか、なんとかゴールできました。
その間も、「AACのたくさんのメンバーが応援に来られてたなぁ」とか、「AAC定期
練習でみんなにどんな出走報告しようかなぁ」とか思い浮かべていました。
そんな仲間がいてもらえることを幸いにマラソン人生を楽しく過ごさせていただきた
いと思っています。今後ともよろしくお願いします。
追記)25歳の息子が「京都マラソン、オレも出るで」と。面白くなりそうです。
「親の威厳」、25年ぶりに発揮します。
(大会開催日:2013・10・27)