
投稿第174号
雨ニモマケズ故障ニモマケズ!「山口100萩往還マラニック」
2009年5月22日
AAC会員
野上亨氏
<第一章>
5月2日から4日かけて、山口県を舞台に「山口100萩往還マラニック」
が開催されました。今年で21回目を迎える大会は、小野幹夫さんという
個人の方が企画して始められ、今ではマラソン大会人気上位を誇るウル
トラマラソンになりました。
種目は、県内を周遊する「250km」、山陽と山陰を往復する「140km」、
山口〜萩を往復する「70km」などがあります。筆者は今回で5回目の参
加。いずれも「140km」で、昨年4回目の挑戦で初めて時間内完踏を果た
しました。(20時間36分)コースは、山口観光名所であり、室町時代の
嘉吉2年(1442年)頃に建立された瑠璃光寺の国宝「五重塔」前をスター
ト・ゴールに、瀬戸内海側の防府市、日本海側の萩市を往復するもので
す。制限時間は24時間です。
140kmで24時間は楽に思えますが、山口から萩へ至る道はアップダウンが
あり、未舗装の「萩往還」(注)は参加者を苦しめます。ウルトラマラソ
ン経験が多いにも関わらず、例年の完踏率は60%未満で、難易度は高い大
会と言えます。筆者は、昨年9月の左足太もも裏の肉離れの影響と、前週
のサッカー練習中に起こした左足首捻挫が回復しないままのスタートで
した。5月3日18時に瑠璃光寺をスタート。比較的平坦な道を防府で折り
返し、復路の途中、AACの中川正栄さんが抜いて行きました。「山口
からが本番ですよ」と声を掛け、筆者はマイペース。JR山口駅前を通
過して、山口福祉センター到着は23時25分。(41.7km)
<第二章>
山口から萩までの約28km中、約20kmが山道で、しかも夜中に入り、要注
意の区間です。「山口ゲンジボタル発祥の地」として知られる一の坂
川を遡るコースは、自然に富んでいますが、走るには難敵です。参加者
が装着するLEDライトが後ろから見ると、正に「ゲンジボタル」のよ
うに見え面白い雰囲気を演出しています。「萩往還」入口の天花畑(て
んげばた)到着は、5月4日0時10分頃。参加者と「いよいよですね。ゆっ
くり行きましょう。」と言葉を交わして入りました。
次のエイド佐々並(さざなみ)までは、コース最高点となる板堂峠(いたど
うとうげ=標高545m)を越えます。二人、三人と集団で、小石が多い地道
や石畳の道を登ります。途中、250kmの参加者が帰ってきました。流石に、
この辺りで帰って来る人は、元気に走って行きます。(250kmを完踏して
仮眠の後、午前6時スタートの70kmに参加する強者もいるとか。)峠を越
えて、国道262号線を下ると佐々並です。(2時5分=56.8km)夜中ですが、
多くのスタッフに迎えていただきました。
さて、140kmでは迷う場所は少ないですが、夜ですし、道路のコース指示
の矢印を見ておかなければ、コースアウトの危険性があります。佐々並
を出て、一人で歩いていた中、道が行き止まりになりました。筆者のラ
イトを見て、後ろから来た人も出だしました。知り合いの参加者もおら
れ、一緒に地図を見ながら引き返し、本道に戻りました。確かに矢印は
引いてあったものの、周囲から流れ出た水によって半分以上消えてしま
っていました。
次のエイド明木(あきらぎ)到着は3時40分。(66.6km)ここでも、スタッフ
の方にお世話になりました。明木を出発すると、小さな峠を越えて萩市
内へ入ったのは4時15分頃。いよいよ山陰に来ましたが70.3km地点で、全
行程の半分が過ぎた所です。ほんのり夜が明けて、レトロな造りのJR
萩駅前を通り、左に山陰本線、右前に指月山(しづきやま)を望み、清々
しい朝の空気を感じながら走ります。玉江橋を渡って萩城跡がある指月
山下の石彫(せきしょう)公園チェックポイント到着は5時34分。(77.9km)
萩城は、慶長9年(1604年)に毛利輝元が築いた平山城で、日本海に突き出
た指月山にあった平山城です。明治7年(1874年)に廃城令により取り壊さ
れ、現在は天主台などが残っているのみです。石彫公園からは、左に穏
やかな日本海を見ながら菊ヶ浜海岸へ。この海岸で休憩する参加者もい
ました。続いて、萩名物として知られる萩焼を展示・即売する萩焼会館
を過ぎ、右にJR山陰本線を従えて越ヶ浜駅前を通過。この辺りは、虎
ヶ崎を目指す参加者と、虎ヶ崎を周ってゴールへ向かう参加者が行き違
う区間です。お互いに視線を交わし、日本海の潮の香を感じながら辿る
と、笠山が見えてきます。今回、笠山チェックポイントは無く、すぐ下
を虎ヶ崎へ向かいます。そろそろ美しい景色とは裏腹に、足の運びは厳
しくなります。虎ヶ崎チェックポイント到着は7時15分。(89.0km)故障に
も関わらず、昨年と同時刻に到着してしまいした。
<第三章>
虎ヶ崎の食堂では、事前配布の食券で、朝食が食べられます。この後、
山口まで大きな給食はありません。今年もカレーでエネルギー補給完了。
缶ビールを飲む参加者もありますが、今日の筆者はゴール後のお楽しみ
にして我慢。(ビールはカロリーが高く、エネルギー源にはなりますが、
アルコールが脱水症状を引き起こしますので、運動中の飲酒は止めまし
ょう。)
笠山の半島を一周して、虎ヶ崎へ向かう参加者と行き違いながら、JR
山陰本線を横断して、正面に松陰神社の森が見えると左折し、最終チェ
ックポイントで萩観光名所でもある東光寺到着は8時54分。(97.3km)東光
寺は元禄4年(1691年)に萩藩三代藩主の毛利吉就(よしなり)が建立した黄
檗宗の寺院です。毛利氏廟所として知られます。
東光寺で折り返して次は、ここも萩観光名所である松陰神社の門前を通
ります。松陰神社は明治23年(1890年)、吉田松陰の実家内に松陰愛用の
硯、松陰の書簡を祀ったのが創建です。神社内には、幕末の志士を輩出
した松下村塾が現存し、当日も多くの観光客が訪れていました。
体は既に限界を超え、左足太もも裏にも違和感が出だしました。100km地
点を通過して、JR萩駅前を過ぎると、午前6時に山口をスタートした70
kmと35kmの参加者とすれ違います。「ファイト!」等の声が掛かり、頑
張る気持ちが続きます。道の駅「萩往還公園」には、早朝に無かったエ
イドがオープン。ここからが、萩往還マラニック最後の正念場です。
<第四章>
「萩往還公園」を出て往還道へ入ると、森林の間から差し込む木漏れ日
が気持ち良く、苦しくもハイキングの雰囲気です。一つ目の峠を越えて
明木到着は11時3分。(108.7km)
続く佐々並までは、山道の上りが延々と続く区間があり、萩からの復路
最大の難所です。70kmの参加者が次々抜いて行き、「昨年は、ここもま
だまだ走れていたよな」と思いつつも、体はそれを許してくれません。
下りも怖々の運びで、佐々並到着は13時17分。(118.5km)
さて、佐々並名物は「佐々並豆腐」。大豆をふんだんに使用した堅豆腐
で、この豆腐を目指して佐々並まで頑張る参加者もいるほどです。ゴー
ルまで、あと約15km。ゴールの目処が立ち、美味しい豆腐で、ゴールま
での気力を養いました。
佐々並出発後、徐々に天候が悪化し、板堂峠の山中で雨が降り始めまし
た。山道の雨は厄介で、地道は水を含んで緩くなり、石畳は濡れて、滑り
やすく転倒の可能性が高くなります。雨とともに気温も下がり、冷える
体には厳しい状況になりました。「ずぶ濡れ」状態で、山道の最後の出
口である天花畑に到着。
天花畑からゴールまでの約4kmは、ほとんど下りです。筆者もそうでした
が、歩いていた参加者が、降りしきる雨の中を走りだします。ゴールが
見えて元気が出る、同じ気持ちなのでしょう。道なりに下って、左折す
ると、正面に瑠璃光寺の入口が見えます。雨の中でも最後の沿道では、
多くの人が拍手や声援を贈ってくれます。それに「ありがとうございま
す」と応えながら、連続完踏の感触も楽しみながらゴール。とにかく完
踏できたことに喜び、スタッフの皆さんに感謝して終えた「萩往還マラ
ニック」でした。故障を抱え、限界を超えてから約40km、さらに最後は
雨に遭い、今回は疲労困憊の苦しい大会でした。
とは言うものの、恐らく来年も挑戦しているでしょう。そんな「萩往還
マラニック」、興味のある方、怖いものがお好きな方は一度参加して体
験してみてください。
(注)萩往還=「関ヶ原の戦い」に敗れた毛利氏が萩に居城を移した後の
慶長9年(1604年)、参勤交代のために西国街道(山陽道)と萩を結ぶた
めに整備した街道です。萩市と防府市をほぼ直線で結び、全長は約53
km。現在は大半が国道262号線となっています。近年、山口県が山口
〜萩間で歴史の道として、現存する旧道を整備し、平成8年には「歴
史の道百選」にも選ばれました。幕末には吉田松陰や高杉晋作など
維新の志士が、松下村塾があった萩から頻繁に往来しました。
第21回山口100萩往還マラニック(2009年5月3日18:00スタート)
140kmの部(制限24時間)=山口〜防府〜山口〜萩〜山口
22時間42分47秒
※140kmの部の全行程は、主催者発表で132.8kmです。