
投稿第二十六号
夢にみた大阪国際女子マラソン出場資格を獲得!
2005年12月8日
芦屋浜アスリートクラブ
準会員:前垣 泉氏
ハーフを初めて走った39歳のとき阪神大震災があり、今を大切に生
きようと思い立ち、ヨロン島で初めてのフルを走ったのです。4時間
40分でした。その後は週末10kmランニングで、年に1度フルマ
ラソンを完走するのが目標でした。
同居していた両親が次々と弱り、義母が痴呆症で徘徊をはじめだした。
義父は膀胱ガンの摘出手術後半年後に脳血栓で半身不随になり、自宅
療養と入院を繰り返し、5年の看病後2004年5月に亡くなりまし
た。義父の身の回りの世話をする一方で、毎週土曜日は施設に入所し
ていた義母への訪問が続いていました。私が毎週義母のところへ笑顔
で訪ねることができたのは、その前にランニングをして、汗を流すこ
とで気持ちを切りかえられたからです。母の訪問は7年におよび、2
003年3月の日本海マラソンに誘ってもらうまで、週末ランで月間
100kmの市民ランナーで満足していた私でした。
しかし2004年夏、義父の逝った後始末をしながら、看病に要した
時間を有効に自分のために使うことを考え、まずランニングを週3回
に増やしました。そして9月の武庫川くすのき駅伝に誘っていただき、
タスキをつないだ皆さんとの楽しい時間が私に新たな目標を与えてく
れました。山下さんのスピードのある走りも刺激になりました。
その後、私のホームグランドの白鷺公園で以前から助言を下さるおじ
さまから、所属クラブの駅伝に欠員があり、助っ人を頼まれて走った
のです。その後、弁当を食べながら私は軽い気持ちで、『毎年38k
m地点で声を嗄らして、一人一人の名前を呼んで応援しているあの中
で、自分も一度でいいから走ってみたい!』と遠い夢を話すと、大阪
国際女子マラソンを走った先輩の方が『まだ40代なら間に合う。挑
戦せなあかん』と進言されたのです。冗談かと躊躇していると、みん
なで応援するからと、クラブのメンバーが初対面の私に、アルコール
の勢いも手伝って、陸協登録やら日程やら説明してくださったのです。
50代後半から60代のメンバーですが、年齢に関係なく努力すれば、
競技者としてスポーツを楽しめる姿をみて励まされました。4月に今
のクラブのメンバーに『毎日10km走れ』と進言され、4時30分
起床の生活が始まりました。10月の半ばから毎朝5キロを走リはじ
め、11月はフルとハーフを走り、12月の30kmにトライしたけ
どタイムオーバーでした。
2005年5月には元気だった義母が突然逝って「看病のために健康
でいなければ」という当初の走る理由はなくなりました。しかし両親
がプレゼントしてくれた「走る楽しみ」と、残してくれた「貴重な時
間」を目標達成のために使うことにしました。
月間走行距離は250kmへ少しずつ伸びていきました。でも、週末
は疲れて30~40kmの練習が出来ませんでした。10月は隠岐の
島100kmウルトラマラソンを半分走り、半分歩いてゴールするな
どして、月間400kmを超えるランに。11月の吉野川ハーフマラ
ソンでは1時間30分のタイムをまたオーバーして失敗。クラブのメ
ンバーがペースランをしてリードしてくれたのに残念で、申し訳なく
落ち込みました。
そしてこの度、長居公園での大阪女子30kmロードレースでやっと
2時間12分41秒で完走して、大阪陸協の事務局の方が『上手にゴ
ールした』と誉めてくださる結果がでました。去年の10月から今日
まで見守ってくれたメンバーが、涙ぐんでゴールに待っていてくれま
した。目標が達成できたのは、寒い雨の中3時間近く周回道路に立っ
て、応援してくれたおかげです。芦屋ACの皆さんにも感謝の気持ち
でいぱいです。皆さん本当にありがとうございました!
(大会開催日:2005年12月4日)