
投稿第三十八号
強い思い入れのある第26回篠山ABCマラソン大会完走記!
2006年3月23日
芦屋浜アスリートクラブ会員:太田貴庸氏
私にとって、篠山マラソンは非常に思い入れのある大会であり、今大会を目標に大分前から練習や調整をやってきました。その結果、ネットタイム3時間36分02秒と自己新記録を達成することができました。その過程をお伝えしたいと思います。【走りだしたのは】私が走りだしたのが3年ほど前の2003年初夏ごろでした。マラソンが活発で多くのフルマラソン完走者を輩出した職場に配属になり、私も走ってみることにしました。電車賃を浮かせるため、長距離を歩くことを得意としていた私ですが、走ったことなどほとんどなく、高校のマラソン大会でも、『なんでこんなことしなくてはいけないのか』と、走るのを放棄して歩いてるぐらいでした。それにもかかわらず、フルマラソンを完走してみたいという思いはもっていたので、そのきっかけができたというわけです。【福知山の屈辱と篠山の涙】’03福知山マラソン’04篠山マラソンまずは、’03年11月の福知山マラソンで初のフルマラソンに挑戦しました。初マラソン完走後は涙が出てくると先輩方が言うので、私も完走後は感動してわんわん泣いてやろうと期待して挑みました。初のマラソンだからゆっくり目のペースを終始保てとのアドバイスをもらったのですが、私は折り返し地点後、これならいけると色気を出し、スピードを上げてしまいました。すると30キロ過ぎあたりで、まさに言葉通り足が棒になってしまい、思うように動けなくなりました。それ以降は歩くよりも遅いスピードでだましだまし、進んでいくことにしました。後続のランナーに次々に追い抜かされていかれる屈辱は言い表し様のないほどです。1000人以上は抜かされたでしょうか。初のフルマラソンをネットタイム4時間09分でゴールした瞬間、感動などなく、失敗してしまったという自責の念にさいなまれました。しかし、ペースを守って走っていたとしても、走りだして半年ほどの私にこれ以上のいい結果がだせていたのか、今でもわかりません。次に挑戦したのが、半年後の’04年3月篠山マラソンでした。福知山後は淀川沿いを20キロ走る練習を始め、1月にハーフマラソンに1度出場してから篠山に挑みました。4時間を切ることと福知山のようにはならず最後まで走りきることを目標にかかげました。するとなんでしょか、自分に神がかりが起きたのか、スピードも落ちることなく、ネットタイム3時間43分でゴールすることができました。ゴール後、トイレでおしっこをしようとしたら尿ではなく目から涙がとめどもなく流れてきたのです。うれしいから、達成感にひたれたからなどの言葉で説明できるものではない、何かがこの涙の意味するところであったと思います。このような涙はこれまで経験したことはなく、その後のマラソンにおいてどんなに満足のいく走りができたとしても流れることはありませんでした。【失速の篠山】’05篠山マラソン、栄光の篠山から1年、自己記録更新で、あの感動をもう一度、と意気込んで臨んだ、’05年篠山マラソン。スタートして15キロ過ぎあたりで、体が動かなくなり、スピードは減速していき、とうとう歩く速さよりも遅くなってしまいました。ゴールはできたものの、新記録達成どころか、制限時間に近い、4時間38分かかってしまいました。風邪をひいた状態でレースにでたのが主な原因だと思われます。また、この大会に至る、1年間続けざまにレースに出場したことも、この失速のひとつの要因でもあると考えられます。私は、’04年9月の京丹後ウルトラマラソンで100キロを走ったのをかわきりに、淀川市民マラソン、那覇マラソン、館山若潮マラソンと続けてフルマラソンを走りました。この一連のマラソンでは自己記録を更新することはなく、記録をねらった篠山においても上記のような結果になってしまいました。【篠山よ、再び】’06篠山マラソン、’05年の失敗はするまいと私は考え、1年間全く、フルマラソンを走らないことにしました。その替わり、この1年間にしまなみ海道遠足と四万十川ウルトラマラソンの二つの100キロマラソンを走りました。思うに、ウルトラマラソンよりフルマラソンの方がはるかに苦しく、ダメージも大きいものでしょう。と言うのは、ウルトラマラソンは100キロをスピードを出して完走することは不可能であり、ある程度ゆっくり、時には立ち止まって走りきるものであります。その一方、フルマラソンは42.195キロを私のような素人でも、ある一定のスピードを保ちつつ、立ち止まることなく、走りつづけることができますが、そのためには人間の持てる力の限界まで駆使しなくてはなりません。ハーフマラソンはスピードを上げるが耐え忍ぶ時間が短く、ウルトラマラソンは長時間だけど、終始余裕をもって走りつづけるので、どちらも走りやすいものです。しかし、フルマラソンはスピードも持久力も必要とするので、マラソンの中で一番しんどいものだと思います。このように人間の限界の力を発揮させるフルマラソンで新記録をねらうには、他のフルマラソン出場をほどほどにし、目標のレースだけ出場するべきだと結論付けて、この1年間フルマラソン出場を自重してきました。事実、’04年篠山マラソンは走りだして1年がたっていないにもかかわらず、半年ぶりのフルマラソン出場で自己記録の3時間43分を達成しているのです。それから2年、走行距離はのびているのに、その記録を更新することなく今回の篠山マラソンに挑むことになりました。’06年3月5日午前11時、篠山城をスタート。昨年のように風邪をひかずにむかえることができましたが、最初の5キロにていまひとつ調子が上がらない。またもや、15キロぐらいで体が動かなくなってしまうのかと不安にかられましたが、その心配はなく、中間地点を1時間45分00秒で通過することができました。もしかして、3時間30分をきることができるかもと期待してしまいましたが、前半よりもタイムは落ちて、結局ネットタイム3時間36分02秒でゴールしました。2年越しの自己記録更新で喜ばしいことですが、なにか地味なタイムだなあとやや満足にかけるものがありました。欲をいえば3時間33分ぐらいでゴールしてみたかったです。この日において、自分の一番速く走れるタイムで走りきることはできたのですが、何かまだ自分にはもっと速く走れるものがひそんでいるなあと思われます。当日の環境は、気温も10度は超えていて暑く、向かい風に道中を阻まれてしまいました。また、28キロ地点でずっと我慢していたおしっこを立ち止まってしてしまい、1分間ほどロスしてしまいました。我慢せず走りきったほうがよかったのか、1分間の休息効果となったのか、どちらがよりタイムを縮めることになったのか今でもわかりません。【これからは】2年間かけてようやく7分タイム縮めることができましたが、3年ほど走り続けて3時間36分ではサブスリーや3時間15分をきることは不可能でしょう。走ることが好きになってしまった私は、もちろんフルマラソンでより速いタイムを更新していきたいと望みます。しかしそれよりも、日本各地で行われているウルトラマラソンや海外のマラソンにより多く参加していくことが私の願望であります。私は走ることだけではなく、何ぶんにもスピードはありませんが、持久力にはたけたものを持っていると自負しております。以上、長文となってしまいましたが、篠山マラソンに対する私の思いを書かさせていただきました。(大会開催日:2006年3月5日)