
第485号
駆 け 抜 け た 6 年 !
2015年1月21日
AAC会員
安部 光弘氏
気がつけば6年以上も走っていました。みなさんと同じように、単純に走るだけでこん
なに人生が変わっちゃった、なんて本当に驚きです。始めたきっかけは、お得意先さ
んの『みんなで西宮マラソンの10キロ走ろう』からです。自分ではまったく興味もなく、
強制的なものでした。でもふと、レースはまだ半年先のこと、そうか!やる限りはそれ
なりの結果でびっくりさせよう、これは黙って秘密練習だ、とかなり性格悪かったです。
しかし、回りにそんな人もおらず、どうすればいいのか、とりあえず安いシューズ買って
走るだけでしょ。でも時間は気になるよな。腕時計もないし測れない、回り見たら携帯
だけ。秒針無いから数字が変わる瞬間に玄関飛び出し3キロぜーぜー、なんたる練
習方法。2ヶ月くらいで膝が痛くなり、足を引き摺りながらニテコ池3周。いつか10周
走りたいなあ、でも遠くに行って戻れなくなるのも怖く、しばらくニテコ池を離れられま
せんでした。
そんな練習を続け甲子園球場から興奮状態で西宮国際マラソンスタート。走り出せば
、他人ながらも同志の靴音、無言の中の息づかい。そうか今日は独りじゃないんだ、た
くさんのランナーと一緒に走っているんだオレ、とそんな部分に一人感動し50分くらい
の予想が45分でゴール、仲間は驚くし一気にランにはまりました。
こうなると欲望は留まらず、シーズンのうちにハーフを走り、できればフルも走りたい!
とギリギリ2009年篠山にエントリー、その頃はまだエントリーも余裕だったんですね。
よく言われる35キロからが地獄やで、の言葉に気負けして35キロ通過して気が遠く
なりそうになりながらも持ち直し、3時間36分にてシーズン終了しました。走る前には、
その日暮らしの様だった私が、年間計画を立て練習に取り組むなんて、自分でも驚き
です。
翌シーズンはヒトケタ狙いで福知山4分台。こうなると今まで考えもしなかったサブス
リーでしょ!と加古川1分台、泉州3分台、未達成だったけど充実したシーズンでした。
これはもう射程圏内だし、足の故障も無くなったし、心配は何もないぜ、と甘いはずは
絶対無い。だって今までの人生だってなかなか上手くいかなかったでしょ。
2010年6月12日、仲間と八尾の恩智神社から虎の寺までのプチトレイルをスタート。
初めの急坂の途端にふくらはぎがクチン?そんな擬音で足に激痛、仲間を全員送り
出し、自分は神社のお方に懇願して軽トラで高安駅まで強制送還して頂きました。生
まれて初めての肉離れで松葉杖暮らし3週間、体の不自由な暮らしがよく分かりまし
た。
駅の放置自転車はあかん、障害者を見ないふりしてチラ見したらあかん、無視するか
手助けしてあげるかのどちらかにして、など貴重な体験でした。恐々ウォーキングから
ジョグスタートしたのがお盆くらい。9月練習で復活して意地で仕上げ、福知山で6分
台、それから、あれよあれよフルも数えれば20回を越え、未だにサブスリーできず、
心ない友人からは、わざとしてないのん?って。そんなランナーいるわけないやろ。飲
むために走ってるんでしょ?って。それは半分当たっているけれど、記録も興味ない
ふりして当然狙ってますよ!そんなこと言っているうちにたくさんの若い人たちが私の
上を駆け抜けて行きました。
いずれにしても、仕事以外の時間で熱中できる趣味を持つと、老若男女こんなに仲間
が増える、これは本当に素晴らしい人生の出来事ですね。まだ50歳超えたところ、年
齢とラン歴から見ると、もう無理なん違う?という言葉には一切耳を貸さず、先輩がた
くさんいらっしゃるAACの中で、これからも精一杯頑張っていきます。