
投稿第77号
記念すべき第1回東京マラソン完走!ですが・・・
2007年2月24日
芦屋浜アスリートクラブ会員:堀内真理氏
12年前にホノルルマラソンで初めてマラソンを経験し、6時間という長時間で完走。楽しかったけれど、それが人生最初で最後のマラソンだと思っていました。夫に誘われ、310000人募集に対しかなりの競争率になるだろうと聞き、「当たるはずないわ」と軽く応募に賛同。それが、それが、何と夫婦で当選!♪い~ぬは喜び♪ではないけれど、夫は喜び部屋駆け回り、私はベッドで丸くなってしまいました。この12年間、ウオーキングはしてもランは全くしていないし、運動も軽くエアロビクスに参加する程度。始めは当選ハガキをヤフーオークションに出品しようかと考えたが(^^;)、本人でないと出場できないよと夫に睨まれ断念、出場を覚悟。しかしトレーニング無しに月日だけが経っていく。ついに夫がしびれを切らし始め、目先の目標として加古川マラソン10㌔、長居公園での駅伝、神戸バレンタイン・ラブラン10㌔に私をエントリー。それに向けて、私もようやくトレーニングらしきものを開始し、神戸での10㌔では余力を残して自己タイムを更新、走ることが楽しく感じるようになってきたのでした。結局10㌔以上のトレーニングをすることもなく東京マラソン当日を迎える。スタート時の気温は5度と寒い上に、天候はあいにくの雨。整列しているランナーもガタガタと震えが止まらない様子。でも、気分は高揚し何だかお祭り気分!9時10分、石原知事の号砲とともに、紙吹雪が舞う中、21000051000人が徐々に出走。いよいよだ!大勢の報道陣のカメラや沿道の応援者の雄叫びに似た声援、それに応えるランナー達の興奮が、東京マラソンが尋常のマラソンでないことを実感させる。このイベントに参加できた幸運を今になって噛みしめ、この機会を作ってくれた夫に感謝であった。新宿→神楽坂→皇居を右手に見ながら10㌔地点まで雨も忘れて快走。ここからは12年ぶりで未知の世界に等しい。リセットのつもりでストレッチをする。夫は冷えからかトイレに駆け込むが既に長蛇の列。ここで20分も費やし、再スタート。右手に東京タワーが見えてきたが霧でかすみ、下半分だけのお目見えだった。13㌔地点で靴の中に違和感を覚える。脱いでみると、ランナーズソックスに穴が開き、親指が突き出ているではないか!しかも既に白い水ぶくれが・・・。何がランナーズソックスよ!訴えてやる!と息巻きながらワセリンを塗って、ソックスの位置をずらし応急処置をして再スタート。15㌔付近の品川を過ぎ20㌔の銀座辺りも気持ちよくペースを落とさず快走、銀座・和光前では義姉が手を振ってくれた。もうすぐハーフだ!正直、このようなペースがゴールまで続くと錯覚していた。しかし、ハーフを過ぎてから急に太ももが張り出し足が重くなり、まるで足かせを掛けられたかのような感覚に陥る。22.5㌔地点のエイドSTでスプレーを振ってもらい、軽いマッサージを受ける。すると嘘のようにまた快調に走り出せたので、とりあえず次の25㌔地点のエイドSTまで頑張ることに。エイドSTごとに同じ処置を受けて走り続けようと目論んでいたら、何とスプレー切れで処置が受けられないことに。愕然としたと同時に、足が、足が・・・こわばって思うように走れなくなってしまった。本当に突然の変化としか思えない。徐々に足が動けなくなったというのではなく、魔法にかかったかのごとく急に足が棒になってしまったのだ。25㌔過ぎからは、走りではなく早歩き。あれだけ短く感じた1㌔が長い距離に感じるようになってきた。ストレッチと夫によるマッサージを受けながら28キロ付近の浅草・雷門までようやく到達。ここでお約束の記念撮影。浅草伝統の連獅子の舞がランナーを迎えてくれていた。気持ちは励まされるが、足の復活には繋がらない。32,3㌔地点まで早歩きの状態を続け、ここから何とか走り出す。あの信号まで、そして次の信号まで、また次の信号までと自分に言い聞かせながら走り続けるも1㌔ももたなかった。しかも、それがたたったのか、今度は右坐骨に痛みが走り出し、歩行さえ困難に感じるようになってきた。35㌔付近の歌舞伎座も朦朧と目にしただけだった。沿道から同情に近い声援を受けながら、足を引き摺り、右手で坐骨神経を押さえながら1歩1歩進む。今度は100㍍さえ、とてつもなく長い距離に感じ始める。しかも悪循環で走っていれば身体も温まるが、まさしく“牛歩”なので冷え切って1層神経や関節が痛む。気づけば1㌔に15分もかかり始めたので、夫が真剣に制限時間のことを気にし始めるようになった。36㌔近く、ここで既に5時間半以上。途中のドラッグストアでエアーサロンパスを夫が購入、スプレーしてくれたが、それでも痛みに耐え切れず、38㌔地点のエイドSTに駆け込む。今度はベッドで整体を施してくれた。「極楽~♪」なんて思っていると、38.1㌔地点の第8関門閉鎖まで残り3分、収容バスの話が!夫の顔の焦りの色が1層濃くなっている。本当はもっと整体を受けていたかったのだが、そそくさと靴を履き、お礼を述べて再スタート。さすがはエイドST、先ほどの坐骨の痛みが嘘のように軽減され、少し走れるようになった。が、しばらくすると電池切れかのようにスローダウン。また痛みが走り出した。後、3㌔、2㌔、既に制限時間のカウントダウンが始まっている。沿道のボランティアの方も「急げば間に合いますよ」と声をかけてくれる。急ぎたいのですが・・・急げない。それでも“1㌔togo”の看板を見るとホッとしたと同時に火事場の底力?とでも言うのか急に早歩きに、ゴール手前ではランに切り替え6時間59分52秒と残り8秒を残してのギリギリでゴールができた。ゴールの余韻も束の間、「完走最終ランナーとしてのお気持ちは?」と気づけば驚くほどの取材陣に取り囲まれているではありませんか。「え?最後だったの?」知らなかった。とは言え、疲れも忘れて、最終ランナーなのにまるでトップで完走したかのように得意気にインタビューに答えている夫婦であった。ハーフ以降の身体の異変にトレーニング不足をひしひしと痛感、フルマラソンの偉大さを思い知らされた。またノー天気な私ではきっとゴールできていなかったでしょうが、常に励ましてくれて、マッサージを施してくれながらゴールに導いてくれた夫にこの場を借りて感謝を述べたいと思います。また沿道でチョコや飴、温かい飲み物を提供して応援して下さった方々、本当にありがとうございました。(大会開催日:2007年2月18日)